沿革

 恵光山(えこうざん)徳蔵寺は遠く慧信僧都の開創と伝えられ、当時は天台宗でした。
 天文3年(室町時代)、本願寺第10代証如上人(しょうにょしょうにん)のお導きをうけて浄土真宗本願寺派となって今に至っています。現在の寺田崇憲住職で21代目です。
  戦前は伽藍配置も良く整い、「啓蒙館」という寺子屋もあって教化活動も熱心であったそうです。
 昭和20年6月7日の太平洋戦争、大阪空襲のときに本堂・庫裏ともに全焼しました。
 ご本尊は先に疎開していたため焼失を免れ、過去帳も境内の池に沈められてかろうじて助かりました。
  戦後、焼失をまぬがれたのは鐘楼(鐘つき堂;当時、鐘は軍隊にもっていかれておりお堂だけ残っていました。)だけでした。第20世寺田崇観住職はまず仮堂をつくりそこから立ち直りを始めました。昭和37年には檀信徒の総力を結集し本堂を再建しました。
  昭和47年新大阪駅周辺区画整理事業が始まり、本堂の移転を余儀なくされ、再度本堂の建立をいたし現在に到ります。
 本堂の一部は真宗大谷派正念寺(滋賀県甲賀郡甲西町)に移りました。